一月九日

日記を書いた。やることノートというのがあってその中にやることを坦々と書きだした。ずいぶんとあって、これはこんがらがって当たり前だな。
深夜特急1を読み終える。
最後のあとがきのところに、対談が載っていて
旅のこと、時間がたってから書いたら自分が一人称であらわせないと書いてあって、若気の至りで(笑)を照れてしまう。とあった。
本文が読みやすく感じたのは、すべてが一人称で、まるで日記のように自身のことがかいてあったからかも。
ひと月6冊は多い、でも、少し頑張れば出来そうに思う。今年の目標としてがんばろう。
ご飯日記をつける、という思いつきは一日で気が変わってしまった。
失業保険までの3カ月、、その間何があるかなんてわかってたまるか。
そんなことも言ってられない、
椿屋四重奏はいい。yが帰ってきたら一緒にツタヤに行こう。
yはねむるとき腕を私の首に巻きつける。細くって華奢で長いので、腕枕をしたらそうなってしまう。
少しでも動こうとしたら、がちっと固まって私を動けなくしてしまう。
少しいらだつも悔しいけど愛を感じる。
好き好き気安く言う。
私のことなんて好きになるはずはない。

そういえば少し前にyに聞いたことを思い出す。
yは長い間私に猛烈なアタックを受けながら、まさか自分をそんなに好きになるわけがない、と思っていたらしい。
なんだか面白い。
yは私を似たもの同士だという。
全然違う部分もたくさんあるけど、なんというか、愛情のリズムみたいなものは似ていると思う。
価値観、嫌いなもの、好きな人間のタイプ、美味しいなと思うもの、美しいものに何より価値を置いているところ、そんなものが似ている。
私は、まだ実感がわかない。
結婚はもとより、yに愛されている、なんてことに。
すこし実感してもまた、外を見たようでまた信じない、という安心に戻ってしまう。
でもその波のような動きすら、yは温かく見守ってくれる。
時に自身もぶっ壊しながら、私を愛してくれてるというのだ。
怒ったり、叱ったり、喧嘩したり、愛したり、全部が楽しいと言ってくれる。
喜びの涙を流しながら、それでもなお「いや、まだ信じない」と思っている、私は。
頑固でイジワルで、何にも受け入れない自分の存在を認めないといけない。
そいつと仲良くしないといけない。
課題はいつも多い。